山梨県で暮らしたのは国民学校(小学校)の4年生のときに叔母の家に疎開した2年間だけである。わたしは5歳のときに東京から大阪に引っ越し、東京弁から苦労して大阪弁を使えるようになった。4年生の1学期まではちゃきちゃきの大阪っ子だった。それが夜行列車に乗って山梨県へ着いたら異邦人(笑)。関西からの疎開者は少なかったので珍しがられた。その上に国語の時間に教科書を読むと、大阪に行く前の東京暮らしが役に立って標準語なのである。先生に褒められて国語の時間には今日勉強するところはわたしが債務整理の話を朗読することになった。

今日は夏並みに暑いと予報でいってたが、うちは昔から冬が寒くて夏はマシなのでそう暑いとは感じなかった。家の中の板敷きの部屋にいる限りは。